西荻ナビ連載イラストレーション「西荻窪駅前」
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西荻窪で少年期を過ごした。高校を卒業して小平に実家が移り、大学四年から仲間三名で事務所兼自宅を借りた。二年間大学近くの練馬に住み、一人が実家に戻ることになり家賃を二人で払うため練馬から引っ越すことになる。引っ越し先に西荻窪を選んだのはノスタルジーもあるし、古本屋や喫茶店などの佇まいが気に入っていたからだ。当時2001年頃は西荻窪は雑誌やテレビに取り上げられる前のローカルな時代でおしゃれな店よりも古き良き個人店がまだまだ健在だった。原宿表参道の歩行者天国が廃止になり数年経って若者の文化圏が吉祥寺にも拡大され、間に挟まれた西荻窪は隠れ家のようで気に入っていた。今では行列が出来るカツ丼で有名な坂本屋にもすぐに入れたし、終日600円で「ナスの肉はさみ揚げ定食」を食わせる大衆割烹の(たかお 〉を だったかも失念)も健在だった。ガラガラと引き戸を開けお店に入りメニューを開くと「なにが?」という独特な言い回しで優しくただし少し早めにオーダーを聞いてくる。帰り際に会計、席を立つ、戸を開ける、閉めるときの計4回以上「ありがとうございます」という素敵なマスターだった。それいゆ、どんぐり舎、物豆奇、ダンテなど喫茶店はそのほとんどが健在なのがさすがだ。

この店がなぜなくなってしまったのか、出てくるのが早過ぎた、というのもある。なくなったのはかなり昔だがラーメンの「勝楽」は真っ白な暖簾に店名が書かれたシンプルな外見、入ると鰹出汁と鶏ガラのいい匂いで充満して、メニューはラーメン、チャーシュー麺、ワンタン麺くらいだったか、美味かったが量が普通のラーメンの1.5倍くらいあった。味は素晴らしいのに量のせいかいつもガラガラだった。様々なラーメンが溢れ認知される今なら良かったのに。今は熊本ラーメン「ひごもんず」があり定着している。伏見通りには「クレープ ショウ」というのがあり生クリームのことを「シャンティ」と呼び素晴らしく美味しいクリームだったがイートインがあるおかげで中学生の溜まり場になり客足が遠のいて閉店。店主は子供に寛容だったがぼくはあのシャンティに用があっただけに悲しい。原宿のマリオンクレープが知られるさらに前の話。最近だとこれまた生クリームが絶品でどのケーキも素晴らしい美味しさだった伏見通り奥にあったパティスリーの「ラ・ペーシュ・ブラン」には毎日車で乗りつけて三つ買わないと気が済まない時期があるほど好きだったがある日突然閉店。これは割と最近の話。資金繰りの問題のようだった。おそらく材料に妥協しなかったのだろう。今は無いが南口には和民があり地元の友達との溜まり場でボトルの焼酎とお茶を注文して朝まで飲んだ。お通しカットでタコわさと軟骨揚げのみ。しこたま飲んで一人千円を切る。最近取り沙汰されるコンプライアンス問題を聞くと最大限に利用していたぼくらにも問題があったのだろうと申し訳なく思うし責める気にはなれない。この和民のあった場所には京風ラーメン「花のれん」、「銀座アスター」「王府井」という錚々たる良店が入れ替わりあった。目のつけどころは良かったが時期尚早過ぎた名店は二度と戻らない。今の西荻窪人気を考えると感慨深い。母親にねだり買ってもらった「月餅」は西荻窪の味だったりする。ちなみに今仕事でお世話になっている歌人の枡野浩一さんは西荻窪生まれで小平に実家がありぼくと全く同じ。地縁というのもあるのだろう。




昨年は酒場の絵を沢山描いた。酒場にいる人たちは皆自分と静かに向き合うか、または人の温もりを求め善かれ悪しかれ(素)の自分を晒している。どんなに見苦しい酔客も絵に描いてしまうと不思議なことに愛らしいキャストの一員となってくれる。だから絵を描けてよかった。少なくない苦い思い出もあるが、だから酒場が好きだ。ぼくが初めて出会った酒場は江古田のお志ど里や唐変木だった。戎には小学生の頃連れて行ってもらったがちゃんと酒を飲みに行ったのは学生時代からだ。

数年前安西水丸先生が健在の頃、ぼくは益々活躍されている先生の作品を見ながら本田(まさゆき)に「先生は本当に何もかも手に入れて羨ましい」というようなことを言った。本田はそれを否定して「いや、先生は色々捨てている」と言った。そう言われてぼくは先生のことを考えた。先生の作品には僅かにではあるが哀しいような静寂が描かれる。しかしそれを照れ隠しのように色彩で覆われ、小物が添えられる。山城隆一さん(故人 グラフィックデザイナー)は「デザインに悲しみは盛れないか」と言ったが先生のイラストレーションにはその答えがあるのかもしれない。



学生時代先生の授業の本番は酒場で行われたと思っている。お店は大概江古田の唐変木、たまに市菜、写楽、お志ど里も。月一度くらい本田まさゆきと三人で、やがて女性ゲストを交えることになった。大学での授業の後は決まって教室での雑談だった。先生は教室にある回転式のグレーの事務椅子ではなく本田がどこからか拾ってきた赤いパイプ椅子が好きでそれに座る。今でも本田は赤いパイプ椅子を持っているはずだ。先生ははじめ「本田とは付き合わないほうがいい」と言った。本田はイラストレーションの授業で芳しくない絵を提出していた(安西先生曰く絶句するような絵)からそれも原因だと思った。ぼくは何とか食い下がり三人で唐変木に行くたびに「本田は目黒に感謝しなくては。目黒が本田をかばったんだから」と言った。 「目黒は女を知らないからなあ。まあ本田は分かっているよ」とからかわれたりもした。当初は本田の才能を先生に散々解説した。安西水丸にはどんなに巧みな理屈でプレゼンテーションをしても通じない。日芸の講評会で講師のデザイナーやかつて電通で一世風靡した教授が褒めた作品でもあっさりとそれを破綻せしめるくらいの作品批評を理路整然と展開する。優れたデザイナーでもあり売れっ子作家でもある先生は学校社会では少し扱いづらい存在で(〜はぼくのこと嫌っているからな)という話はしょっちゅうで窮屈そうだった。学生時代の先生を可愛がり(水丸、ラーメンとカレーと女は人それぞれだからな)と言った渡辺信一教授(故人)への義理で引き受けた日芸の講師だった。そんな先生は酒場では活字には出来ないような男同士のいたずらな話を沢山された。先生の日芸の学友がぼくの中、高の美術の先生だったがやはり酒好きで酒癖が悪かったそうだ。

大学の授業後に一度プロの女性イラストレーターが訪れたときはポートフォリオを見た後で「君が描かなくても誰も困らないからね」と言った。プロには厳しいと思った。本田の才能を先生に解説するのに作品について触れることは無く「本田は学校の清掃員や食堂に勤務する方々と皆分け隔てなく名前で呼び合い慕われています」と言うと先生はそれならということになった。作品は形になっていなくても本田は先生から気に入ってもらえるタイプだと思った。いつも何が好きで何が嫌いかという話が多く酒が入るにつれ過激になる。ぼくの場合は好きか嫌いかについては今よりも学生時代の方が迅速ではっきりしていた。すれ違う者全員に「こんにちは!」と声をかけることで知られる演劇学科の学生がいたがぼくは目も合わせなかった。卒業して彼がCMに出ているのを見てああいう努力も功を奏すのだなと思った。作り笑いは苦手だ。



卒業してかなりの月日が経ったある安西先生を囲んだ会の終了後先生とバーに行くことになった。居合わせた数名に声をかけご一緒したがある人はなぜかその後会合でぼくに会うと嫌な顔をしたり避けたりするようになった。人当たりの良い方だがこの人も作り笑いをする。その会で先生に会うのは数年振りだった。飲み会の後のメールで先生にきつくお叱りを受け、先生に会うことなく三年くらい費やして試行錯誤、あるいは迷走していたからだ。その期間が数年続いて本田まさゆきが先生の個展に行ったが人に囲まれた先生に遠慮して帰ろうとすると先生の方から声をかけてくださり「目黒はどうしているのか?あまり疎遠にならないように。普通のものを普通に描けばいいんだから」という話を持ち帰ってきてくれた。普通に描いているイラストレーターを挙げて杉浦さやかさんの名前が出たそうだ。それからさらに一年くらい経ち本田がふいに「先生に作品ファイルを送るといい」というからそうしたら先生から個展の案内状が来た。パーティーで挨拶すると「変なもの送ってきて」とニヤリとされた。これが2012年頃の上記の会だ。これを契機に叱られて以来何年もご無沙汰してしまった先生と再び何度かお会いすることができた。



先生は人間の影の部分に敏感な方だったように思う。先生はまず相手を褒める。褒め方もうまいしその人にしかない所をさりげなく褒める。しかしそれをどう受け止めるのかが一番重要で怖いことなのだ。ぼくの場合は(線がいい)と言われたが、それは(他にはいいところがひとつもない)ということだ。線の中にある「素」の自分を大切に呼吸し、演じて描く。線を描いている瞬間から(絵を)見るものと対話するような気持ちでいなければならない。それが自然と出来るようにならなければならないと思う。あのとき(叱られた)理由はそれが出来ないことではなく、出来ない自分を隠そうとしていたからだ。



先生の酒場の授業はもうない。でもぼくはこれからも酒場で嫌われたり、愚痴を言ったり言われたりするし、人に叱られたり叱ったりするだろう。それを描くだろう。一昨年から昨年にかけて、ぼくのイラストレーションは酒場授業の成果が出て来たと思っている。学生時代から長く一緒にデザインの仕事をしている本田まさゆきは今、芸人コンビ 「すっきりソング」として活動している。そのきっかけは歌人の枡野浩一氏の芸人活動の相方募集に応募し選ばれたことだ。そのときに16年ルームシェアをして仕事をしていた本田との距離が生じる覚悟を決めた。安西先生が酒場で「君たちは仲がいいのはいいけれど仕事は別れてやりライバルみたいになってお互いがやっていくほうがいい。ぼくも嵐山(光三郎)なんかもそうだった」と言っていたことが実現した。事務や食堂、清掃員のおじちゃんやおばちゃんに人気のあった彼もまた酒場授業の成果を発揮するだろう。

2016年はそういう年にしたい。



12月8日発売「NHKウィークリーステラ」にイラストレーションを描きました。





2016年1月10日スタートの大河ドラマ「真田丸」(脚本 三谷幸喜 主演 堺雅人)の特集です。堺雅人さんは安西水丸師とも親交があり、先生を偲ぶ会合の打ち上げ場所に菅野美穂夫人と数名でいらしたときに少しだけご挨拶程度のお話をさせて頂きました。そのときに「真田丸」の撮影が始まるというお話をされており、ぼくも真田幸村ファンだったので楽しみにしていました。

今回の絵は「有象無造っぽい武士を率いる真田信繁(幸村)」とのオーダーを頂き「死に場所を求めた浪人衆」というテーマ設定から昔の絵巻合戦図を見ながらオリジナルの衣装デザインをしてみました。腕はいいが運に見放された一匹狼や傭兵、武田の遺臣のイメージ。武器や鎧も全て考え、人物は演者からは離れて描きました。いかがでしょうか。



喫茶店を描いた一年。西荻窪それいゆ、物豆奇のテーブルや雑貨、どんぐり舎、阿佐ヶ谷gion、高円寺七つ森などをモチーフに。制作期間はゆっくり一カ月かけたり、早くて四、五日。この密度の絵ならこのくらいの期間で納品できる、とかギャランティーの設定などがすぐに判断できるようになって来た。写真、画像は部分的に見て、多くは記憶と想像に頼っている。

家具、雑貨、絨毯、食器、壁面、かけてある絵画などそれぞれ研究しながら描くのだが、細かい仕事が苦にならない画材、画法を見つけたことの意義は大きい。

また描いていく中であえて抜く(描かない)部分を作る鍛錬にもなった。配色もそれぞれ傾向を作る。オリジナル作品を公募やコンペに参加させ、実戦(実際の仕事)ではテキストやレイアウトに合わせて引き算の手法を取るようにしている。


喫茶店の人々を描くきっかけとなる2014年の詩とファンタジー入選作品。















西荻窪の情報サイト 西荻ナビのタイトルイラストレーションとして連載中の
「西荻個人的風景」。五年くらいになるだろうか。

善福寺川、こけし屋、善福寺池、酒房高井、ラヒパンジャービーキッチン、煮込みや富士、西荻の猫、戎、欧風料理華、原っぱ公園、荻窪八幡、こけし屋別館。とくに荻窪八幡は中学生時代の恥ずかしい失恋を身を切る思いで暴露(たかが中学だが)。
西荻ナビの仕事で画風、画法のアイデアを一番に実戦で試している。数センチ四方の中に描くイラストレーションの原点となる貴重な仕事。制約された小さな範囲の中に世界を表現できるか否かということがイラストレーションの面白さがある。





















「剣道とイラストレーションをされているのはギャップありますね」

と言われて久しい。剣道は10歳のときに警察署で習い始め、その後は中高一貫の男子校、大学は本部ではなく学部内にある剣道部で二年間ほどやり、今は山岡鉄舟の直弟子が開祖となる130年続く道場で稽古と少年指導を担当している。段位は六段で試合にも年に10回近く出場している。剣道歴は28年ということになる。

仕事等で人に会うと「新撰組にいそう」とか「男らしいですね」と言われ、先輩イラストレーターの信濃八太郎さんは仕事も年齢も上位の方なのに敬語で話されるので恐縮すると理由が(ちょっと怖いんだよ)と微笑まれた。歌人の枡野浩一さんはぼくを話(や文面など)に登場させる場合には(男らしい)(二丁目でモテる逞しさ)と評されたりする。かつて安西水丸師は「(飲みに行くときに)目黒といると怖いものないよ」と言われた。



確かにストイックな面はある。3キロの振り棒を振ったり、自転車片道40分の距離をつま先だけで漕いだり、上段をしていたときには毎日2千本片手素振りをしたり、少年指導をしているときも含めると年間300回以上は面をつけている。

実情はさして秀でた体力も根性もなく幼児期には隣に住む韓国人の女の子と着せ替え人形で遊ぶのを何より楽しみにしていたし、体育より皆で紙で作ったお金と商品をやり取りするパン屋さんごっこの体験授業に胸をときめかすような子供だった。野球もサッカーも全く話にならないが、友達と一緒に始めた剣道ではたまたま年末の部内戦で十数人抜きをして剣道は得意だと勘違いしてしまって小、中、高と続けることになった(その自信もすぐに打ち砕かれたが)。

高校の部活を引退して竹刀を置く友人たちを横目に成人後も剣道を続けここまで体を鍛え続けることになったのには実は情けない事情がある。20年近く前、友人とのしがらみで格好つけて不要ないざこざに首を突っ込み友人の代わりに買って出た一対一の喧嘩で惨敗したのだ。相手は躊躇なく倒れた相手の顔面に膝を叩き込むような手練れの喧嘩師だった。まるで覚悟と気迫が違い相手にすらならなかった。彼を知るものからなんて無謀なことをするのかとお叱りを受けた。以来ぼくは強くなるための道を探し髪を切り身体を鍛えボクシング、空手、拳法、とにかく強くなるためには何が必要なのかを探し求め精神はともかく形だけの筋肉は付いていった。イラストレーションの勉強を始める少し前のことで、剣道を続けるつもりはもう無かった。(闘いから守ってくれなかった剣道など実際には役に立たない)といじけていたのもあった。本当は格闘技術ではなく覚悟のない虚構の自信こそ問題だったのに。そんなときに高校の同級生から出稽古に行く誘いを受けて某所スポーツセンターに行った。そこには八段を取ったばかりという五十代の先生がいた。本当の剣道を知らなかったぼくはどうせやめてしまうのだから見せかけ(ではなかったのだが)の高段者くらい体力で叩きのめすつもりだった。いくら八段でも年齢的に若いこちらが有利だという浅はかな考え。

礼をして蹲踞、立ち会いが始まるとどうせまず(待ち)の姿勢であろうとたかを括っていた八段が自ら迫り打ち込んできた。剣先が瞬く間に目の前に来て動けない。正確には動こうと思った瞬間には突かれ跳ね飛ばされている。よろめきたたらを踏めば後ろに並んでいる剣士からまえに押し戻される。また打ち込めば擦り上げ返され押し込まれ、突きは何連続でされたかもわからない。試合では審判が判定するが審判など必要ない程に圧倒的な速さと手の内の締めが冴えた打突部位が痺れる打突だった。防具がなければ一撃で失神するほどの打ちを嫌というほど脳天や小手、突き垂れに叩き込まれた。精神的なダメージとどうにもならない無力感が押し寄せて涙さえ流し途中からは子供のように打ち込み稽古(先生の空けた部位を打たせてもらう稽古)になる。先述の喧嘩師には感じなかった恐ろしさだった。稽古後挨拶にいくと「そういう稽古をしていたら強くなれないよ」と穏やかに言われる。(強くなれない)の言葉が響いた。だからまた(剣道をやり鍛えなければどうにもならない)と思い直したのだった。この惨憺たる稽古を見ていた方に声をかけられ紹介頂いた道場がそれから20年近く通い続け稽古している先述の道場である。



通い始めてからは毎回早くから道場に行きひとり素振りをしていた。しばらくすると副館長(故人)が入ってきてある時から稽古が始まるまでの時間に竹刀の握り方の基本からどのような理合で竹刀を扱うか等高度な技術まで丁寧に指導して頂けるようになった。副館長は館長の義理の兄で道場での稽古(立ち会い)日本一と言われた豪傑だ。さらに言うと若かりし頃にこの副館長にしごかれたのが先述のスポーツセンターの八段だった。あの八段が首に後遺症が残るほどやられていたというのだ。60歳をわずかに過ぎて早世した副館長はラオウのような威容(あくまでイメージ)で対峙しただけで身体が竦むような豪剣。館長は文学者か医者のような穏やかな物腰の人格者で面をつければ気あたりが凄まじい柔よく剛を制す達人。同時期に日大芸術学部においてはイラストレーション界の巨人、安西水丸先生に邂逅する(水丸師も剣道をしていてとても話が合った)。どちらの道においても道を極めた先生に未熟なひよっこの時代から出会うことが出来たのは幸運としか言えない。そういう意味では容赦なく顔面に膝蹴りを叩き込んでくれたあの喧嘩師に感謝している。あれから20年近くも経ちまだまだ弱い。この弱さに抗うために続けている。



ぼくにとっては剣道とイラストレーションはまったく同じテーマに基づいていてギャップがない。必要なのは(脱力)と(ため)だ。それからどちらも対峙する対象に対して常に「孤独」でなければならないところだ。





西荻窪の喫茶店それいゆから「大きな絵を飾りたい」との希望を頂き3カ月ごとに絵を代えながら展示することになった。

それいゆに通いだしたのは24歳のときに剣道の稽古でアキレス腱を断裂して休養中に喫茶店で読書をする習慣がついたから。かれこれ14年になる。

7、8年経ってようやく一言二言店員と会話するようになり、10年経って友達付き合いをする店員も現れた。いまは退店してしまった(西荻窪の天草四郎)と勝手に名付けた20歳そこそこの美男子であるミュージシャンとは何度か飲みに行った。最近テレビや雑誌にも取り上げられるそれいゆだが、(イケメン喫茶店)と呼ばれているらしい。確かに色んな志を持つ若い男性の店員が集まっていてそういえば皆ハンサムだ。

前述の彼と話が合うことに気づいたのは、(嫌な客)の趣味が合うからだ。大声でつまらない薀蓄などを得意げに話している男、時折ぎゃーと悲鳴のような笑い声を上げる女性。何時間も居座り周りの客と顔なじみになるとあわよくば自身のヒストリー話を語り聞かせようとする者。ひたすらスマホのモバゲーに興じるグループ。

喫茶店の用途は人それぞれでいいと思うのだが、静かに本を読んだり、書き物をしている客、また店員やお店への気遣いは最低限払うべきだと思う。そうそう、馴染みなのは分かるが幼児が店内を駆け回り見知らぬ客にもぶつかったり声をかけているのを放置している親、客が全て子供好きかどうかはわからないし、ぼくは子供好きでもこういう状況は嫌いだ。

3.11の大震災の頃、一週間ほど平日昼夜問わずお店が大混雑だったことは印象深い。「やっぱり不安なときは皆いいところに集まりたいんだね」と店員と話をしたことから親しくなり一緒にデザインの仕事をしたこともあった。

14年も通えば色んなことが起こる。ぼくの場合はお店の壁には随分飾ってもらう絵が増えたことだ。少し飾りすぎてうるさくなってしまっただろうか?と思っていたところに、「大きな絵を飾りたい」とのことなのでホッとしている。










短歌 枡野浩一 #枡目組


好きな女の子がいるし、デートもするのだけれどそれ以上何も起こらないし怖くてできない、友達で終わってしまいそう、というような20代前半くらいの男子と話をする機会がたまにある。それぞれ事象は違うけれどそういう場合のアドバイスには以下の言葉から引用する。

ぼくが安西先生から頂戴した言葉の中でも一番好きな言葉のひとつ

「女性はそっと肩を抱き寄せてぐっと硬くなったりしたらもうだめだね」

肩に手をまわしたとき、女性が力を抜いてもたれかかってきたり、ふにゃりと力を抜く、又は手を握った感触でもおなじ要領で力が抜けて身を委ねたらOKと思っていいが、ぐっと力が入った場合はそれ以上深追いしないほうがいいという意味(とぼくは解釈)。

学生時代、江古田にかつてあった唐変木での飲み会(先生、本田、ぼく、ゲスト女子学生)で先生から「あとで(女子学生に)やってみろ」と言われ律儀に試したらグッと固くなってしまい落胆した。

前日に本田も同じようなことがありあまりにタイムリーな先生の直感に思わず動じたそう(このくだりは彼の記憶に詳しい)。

ちなみにその後この手を使い肩の力を抜いてもたれてきた女性に振られたこともある(好きだけどお兄さんみたいに思っていた、みたいな振られ方ね・・)からそこは事例によるのだけど(それももう18年前の話)。

とにかくぼくは年下の後輩(たまに先輩も・・)などの恋愛相談にはこのような話をして(機会をみて)肩を抱き寄せたり手を握ることを勧めている。

そこで力が入ったらすっと引けばいいから、「好きです」「ごめんなさい」となるよりはずっと傷つかなくて済む。そして気持ちわるいとさえ思われなければ多少は距離が縮まって(リラックスして)次の機会をうかがうこともできる。ただひとつ気をつけたいのが肩に手をまわすタイミングなのだが。タイミングを教えるためにその男性を女性に見たてて肩を抱き寄せたり手を握ると、大概の男性の力は抜けるのは何故だろう。

(本文おわり 以下告知)


西荻窪ニヒル牛ではこれまでの関連出版物を展示していますのでお立ち寄りの際には是非ゆっくりと椅子に座り閲覧ください。


ニヒル牛



是非見に来てくださいね。




綺麗な暖簾(のれん)である。外見からはかなりの年月を経た地元の大衆酒場らしい。休日のためあまり人気はない。

缶チューハイを片手にひとしきり浅草界隈を散策。それから日が傾きかけた頃から北へ結構歩いたのだけれど、すでに遅い昼食を済ませたぼくはそれでもこの暖簾を目の当たりにくぐらずにはいられなかった。

日本最大の遊郭とドヤ街にほど近い酒場であるが凛としたたたずまい。入ると中は厳かな空気感に支配された熟練の酒場であった。やはりここで写メはまずかろう。記憶に留めるためにジッと周囲を観察、いや、そんなことよりもこの酒場のメニュー、先客の飲む焼酎を牛乳で割った飲みものに気がいく。すぐさまぼくは牛乳割りを注文。

もつ煮込みを注文。続けてキムチとは言わず朝鮮漬けという名前に惹かれそれを。それから焼めしを注文。チャーハンと言わないのがまたいい。それから何を頼んだかは失念。もつ煮込みは珍しくも上品に横長船型の皿にて供されなんとも情緒。ふわりと柔らかな豚もつ味噌煮込みだ。朝鮮漬けはキムチと同じだが塩辛いのときたら通常の三倍くらいシャア専用キムチという風情。この一皿でチューハイ三倍いかないと釣り合わぬ。しかし不思議に牛乳割りが中和する。

無愛想な親父は途中2人組の酔客の入店を突き返した。ぼそりと一言「もう飲んでるでしょ」。

カウンターの奥の席には一見して業の深い人生を歩んできたであろう様子の美人のマダム。途中ひとりの新手の客がマダムの一つあけた隣の席に座ろうとすると親父が別の離れた席に移動させる。一瞬マダムは腰をあげかけたように見えたが、客が離れた席に移動するのを見てまた腰を落ち着けてチューハイを注文する。

ハイボールや日本酒を飲んでいると親父が来て「焼めしないって。すいません」と。薄っすら笑いながら申し訳なさそうに。ぼくのこの親父に対する緊張感はなくなり、「じゃあ(豚の唐揚げ)を」。

気持ちのよいひとときだった。乱暴な酔客や下品なおしゃべりがありようのない酒場。料理のネーミング、整然と並んだメニューや酒瓶が雄弁に語りかけてくる。古いが清潔によく磨かれた床や味わい深い木造。まるで神社のように神聖な空気感。

つまり嫌な思いをする要素が一つもなく全て排除された。シンプルな空間。そうだ、道場だ。何かこの落ち着ける感じは道場と同じなのだここは。

こういうお店に入り独り酒をしながらどういう風に描こうかな、と酔う。

高円寺フェスでのイベントにて(歌人 枡野浩一さんの短歌を自由に選んで頂きそれをお題にTシャツに手書き文字による短歌とイラストレーションを描く)というコラボレーションを行なった。

この出演に際して枡野さんは終始寛容ではじめの打ち合わせでは数冊の自著を持参して参考とさせて頂くばかりか最後までイラストレーションについて自由に描くことを許容され、たまに誤字を出してしまったときには(大変失礼いたしました)丁寧な言葉で優しく指摘を与えるのみでただし直さなくてよいとさえ。短歌を文字に起こしたりイラストレーションを描くなかで、枡野短歌の制限の壁を越えた言葉のふしぎを感じ導かれるように筆を走らせた。自分にあてはめたり、未知のストーリーを想像したり、季節、風、匂いまでが出現するような空想の旅を楽しんだ。これに加え実作品の場合はお客さんの思いが加味されてさらに絵の開発のスパイスとなる。制作にあたりいかに楽しんだかは数多くのサンプルと掲載作品を見て頂ければ伝わると思う。(文面最下部まで続く)







ことに当たり枡野さんの挙動は常に迅速でアイデアに満ちていた。それに呼応するようにぼくは一部の短歌を額装し渡すと早速阿佐ヶ谷の仕事場”枡野書店”に整然と素敵に飾られ、早くも原画に買い手さえついた(感謝 と同時にお問い合わせ受付中)。サンプルをTwitterにあげれば秒速でリツイートがあり瞬く間に人目につく。イベントとは無関係の普段のオリジナル作品をリツイートして頂くと沢山の方のお褒めを頂戴した(感謝)。

しかしこれは大きな恩恵である代わりに恩師の安西水丸師の言葉を借りると、

”つまらない絵でも描こうものならたちまち自分はつまらないイラストレーターであることを皆に知らしめるようなものだ”

となりこれは常々自戒していて個展やイベント出展には警戒していたものだ。今回の枡目組の場合はもちろん二つ返事の参加だが、先の水丸師の言葉の対として

”仕事が仕事を呼ぶようにしないと”

があり

”沢山とにかくイラストレーションの仕事をしなさい”

に繋がるまさにそれがこの枡目組となる。こと枡目組に関してはまず目の前に枡野さんがいるので(客観性や審美眼について)安心ではあると同時に今回はいかに短歌を台無しにしないかに集中したつもりではある。

























上に掲載したものは全て同じ短歌

ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を

からだがお客さんによってハッピーエンドやバッドエンドの希望を伺いまたはオリジナルのアイデア持ち込み(タンポポの絵)があった。











それぞれ短歌に合わせて文面の裏側または正面から発想してイラストレーションをつけている。











猫の絵を希望する方も多い。最後の裏側の足跡はお客さんである小学生の依頼で素晴らしい。大人だけでなく子供向けに素敵な短歌も沢山あることを知る。もちろん子供は大喜び。また各自の名前をお題に作られた名前短歌というのがあり持ち込まれたがこれも本当によく出来ている作品で感嘆。

















枡野浩一氏筆のかなり貴重な枡目組マーク。仕事に対する誠実さと素朴で優しい内面が滲み出た線である。



最後にイラストレーションを描くときに自分の感情や自我や妄想あるいは視点の発露を主体としたいわゆる”アート”にならないように注意しているのは、クライアントの提示するテキストにいかに寄り添い身を委ねてなお染まり切らないスタンスを磨くことにイラストレーターという”職人”をみているからだ。

いかなる戦闘においても体制を乱さない武士が体幹を鍛え、また剣豪となるための感覚を研ぎ澄ます山籠り。枡目組は山籠りから下山したイラストレーターの命懸けの立ち合いの第一試合のように思えた。(少し大袈裟に)それくらい枡野浩一の短歌には”奇抜”や”思い切りの良さ”だけでは太刀打ち出来ない仙人のような”妖気”がある。枡目組の次の活動を応援くだされば幸いです。今後ともどうぞよろしくお願いします。


おわり


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▲あかね書房より絵本「あれたべたい」2016年6月刊行 ぶん 枡野浩一(歌人) え 目黒雅也
●剣道六段(新渡戸文化学園剣道講師)
●日大芸術学部にて安西水丸氏に師事
●日大芸術学部学部奨励賞
●イラストレーションヨコハマコンペ
1999、2000入選
●SAPPORO BEER TOKIO HOT 100 AWARD
ポスターデザイングランプリ
●誌とファンタジー公募入選
●13回TIS公募入選
●小学館文庫「洞窟オジさん」装丁

☆主な取引先☆
リットーミュージック/あかね書房/小学館/ソニーミュージック/中央公論社/実業之日本社/マキノ出版/NHK/JR東日本/ホリプロ/シンコミュージック/大京/大泉村/エイ出版社/ソニーマガジンズ/プレアデスセンター/ニューズ出版/ビレッジレス ナレッジフォア/日本デキシー/日経BP/兵庫県満願寺/新渡戸文化学園/杉並区教育委員会/ハクデザイン/森田デザインプロダクション/ノーブルウェブ/新潮社/山と渓谷社/エディトルームカノン/マックスライン/ など

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